どうしてデザイナーになったか。その3
    2008.10. 4 [ Sat ] 19:57

バブル時代初頭。

1984年〜

19歳〜

アナログ時代、

一般的にはパソコンもカラーコピー機も存在しない頃。


予備校に2年行ったが、

結局、

最終的に専門学校に入った。

僕は、

なんとなくの学生生活を

浪人時代も含め4年間過ごした。

そんな中でも水泳部ではなかったが、

母校の臨海学校の助手を傍らでしたのは良い経験になった。


そもそもは建築が好きで、

空間演出やインテリアを仕事にしたいと思ったのだが、

デッサンが苦手で絵が描けず、

平面構成を褒められグラフィックデザインに転換。

コラージュの作品を作るようになっていた。


構成や表現したいもの・好きなものを

集めることに夢中になり、

構成=デザイン  

表現したいものを好きなものを集める=

ディレクションに近かったのかもれない。


sono3.jpg


左:コラージュの作品を作るため、洋雑誌から採ったいろいろなマークやロゴをスクラップしていた。右:当時のコラージュ作品、半立体的なものが多かった。


その間、

パルコが主催していた公募展の

グラフィック展、

オブジェ展などのアルバイトを

よく仲間と一緒にやっていた。


安易に日比野克彦氏に憧れたり、

アートとデザインとかの区別も出来ずに

審査で会った

キース・ヘリング氏や山本寛斎氏を良いと思ったり、

自分自身、明解な目標がわかっていなかった。


自分もこういう公募展で賞などをもらえば

自分の道が開けていくような

宝くじを買うような感じにも似た思いで

平行して出品もしていた。


時代が今とは大きく違っていて、

中途半端な生活だったが

どうにかなるという曖昧な気持ちがあった。


でもやっぱり、

表現したいモノやそれを見せるための技術が

全く出来ていなかったと思う。


ただ、

仲間と展覧会をやってみたり

そのための作品を作ることが楽しかったし、

それをするために

いろんなアルバイトをすることも楽しかった。

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クリエティブディレクター/アートディレクター

青木 克憲

65年東京生まれ。サン・アドを経て、99年バタフライ・ストローク株式會社設立。広告のみならず、グラフィック、映像など活動範囲は広く多岐にわたる。企画立案から表現まで幅広くこなせるディレクターとして活躍中。落書きふうの線描や写真、CGを自在に使い分け、鮮度と喚起力に富むビジュアル表現が評判で、多数の企業をクライアントにもつ。