どうしてデザイナーになったか。その1
    2008.09.11 [ Thu ] 1:17

記憶をたどると、

僕は三年保育を受けていて、

3歳か4歳の時からの幼稚園生の記憶が、

一番自分の中で古いものだ。


ぼくの家は日本橋にあり

一軒家の昔ながらの商店舗作りの

小さいけど洒落た建物だった。

家はテーラー(紳士服の仕立て屋)をやっており

父は祖父から継いでやっていた。


兄が二人おり、

小さい頃は職人さんも何人も住み込みで働いていた。

そのせいか、ある程度の広さがあるのに、

うちには個人個人の部屋が無かった。


うちの並びにはコーヒー屋さんがあり

これがまた戦後のいい建物のお店で、

そこの一つ上の子とよく遊んでいた。

お店の中はうまいこと二階席があったり、

とにかくモダンで不思議な造りで面白い。

ここは今もそのまま残っている。

昭和40年代には、このような建物がまだ沢山あった。


幼稚園と小学校はつながっていて、

何かに認定されるほどのこれもいい建物。

社会人になって個展をする機会があったとき、

この頃の自分の環境をテーマにした展覧会を開いたほど

僕にとっての生まれ育った周りの建物やものの記憶は、

とても印象的に興味深く残っている。


高校で進路を考える際に建物やものに興味が生まれ

僕は美大のインテリア科とか空間演出科とかを

目指して浪人生になった。

幼い頃から何となく暇な時に

自分の部屋があったら

こうしたいとか思いつつ、

よく落書きをしていたので

そんなことをあれこれ考えることが

職業になったら面白いと思っていた。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧:
どうしてデザイナーになったか。その1
このブログ記事に対するトラックバックURL:

コメントする





クリエティブディレクター/アートディレクター

青木 克憲

65年東京生まれ。サン・アドを経て、99年バタフライ・ストローク株式會社設立。広告のみならず、グラフィック、映像など活動範囲は広く多岐にわたる。企画立案から表現まで幅広くこなせるディレクターとして活躍中。落書きふうの線描や写真、CGを自在に使い分け、鮮度と喚起力に富むビジュアル表現が評判で、多数の企業をクライアントにもつ。